新潟地方裁判所長岡支部 昭和44年(ワ)185号 判決 1974年3月14日
原告 島津忍
被告 村山達雄 外二名
主文
被告らは原告に対し、連帯して、金二三七万〇七三九円およびうち金二二二万〇七三九円に対する昭和四九年二月一日から、うち金一五万円に対する本判決確定の日の翌日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、これを五分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。
この判決は、主文第一項にかぎり、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
(一) 被告らは原告に対し、連帯して、一一六一万五六〇八円およびこれに対する昭和四九年二月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。
(三) 仮執行の宣言。
二 被告ら
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
(一) 交通事故の発生
昭和四二年一月二一日午後八時ごろ、原告は、今井シズらと旭タクシー株式会社の乗用自動車(運転者佐藤晃)に同乗していたところ、同自動車が、長岡市小沢町四七番地先県道長岡、出雲崎線において、対向してきた被告土肥運転の小型乗用自動車(新五あ六七五六号、以下単に被告車という)と衝突した。
(二) 原告の傷害および治療の経過等
右事故により、原告は、鞭打ち損傷兼外傷性腰部椎間板症の傷害を受け、その治療のため、直ちに長岡赤十字病院に運ばれ、その後、昭和四二年一月二五日から同年四月二九日までの九五日間同病院に入院し、さらに、昭和四三年二月一一日から同年三月一四日までの三二日間新潟大学附属病院に入院したほか、昭和四二年中に八〇回、昭和四三年中に一四一回、昭和四四年中に二二二回、昭和四五年は一一月までに一二七回で計五七〇回、いずれも長岡赤十字病院に通院し、昭和四五年一二月に一〇回、昭和四六年中に一二七回、昭和四七年中に一三三回、昭和四八年中に七〇回、昭和四九年一月に八回で計三四八回、いずれも関根整形外科医院に通院した。また、原告は、昭和四二年中に一五回(ただし、ほかに往診三回)青柳医院に、昭和四五年一月に一回、昭和四七年一〇月に一回の計二回自明堂眼科医院に通院した。しかして、原告の傷害は現在も治癒せず、コルセツトの着用、苦痛を鎮めるための注射と服薬を欠かすことができない状態であり、本件鑑定の結果によつても、「受傷後きわめて長い経過をたどつていることおよび多くの医療機関における加療の反応からみて、自然治癒はもちろん、医療による改善は期待できない。」とされるほどの重症である。
(三) 責任原因
1 被告土肥は、本件当時、被告車を飲酒運転し、かつ、進路右側に入つて運転していた過失により、原告乗用の前記タクシーに衝突させたものであるから、民法七〇九条の責任がある。
2 被告原田は、被告車を所有し、これを運行の用に供していたものであるから、自賠法三条の責任がある。
3 被告村山は、新潟県第三区選出の衆議院議員であり、被告土肥をその秘書として使用していたものであるところ、昭和四二年一月二九日投票の衆議院議員選挙運動期間中、被告車を被告土肥に運転させ、その選挙運動を行つていた折に、前記のような同被告の過失により本件事故を発生させたものであるから、被告村山は被告土肥の使用者として民法七一五条の責任がある。
(四) 損害
1 治療費および診断書等証明料 六四万八二四四円
(1) 長岡赤十字病院治療費(昭和四二年三月一八日以降のもの) 三〇万五二二九円
(2) 同病院診断書等証明料 三八〇〇円
(3) 関根整形外科医院治療費 三三万〇五八四円
(4) 同医院診断書等証明料 二〇〇〇円
(5) 自明堂眼科医院治療費 一四五九円
(6) 同病院診断書等証明料 六〇〇円
(7) 青柳医院治療費 四五七二円
2 補食費 一五万八九三五円
(1) 牛乳代(昭和四二年五月から昭和四三年一二月までの分) 三万〇六〇〇円
(2) ヤクルト代(昭和四三年七月から昭和四七年五月までの分) 一二万八三三五円
3 その他雑費 一〇万三一二〇円
(1) 頸椎用コルセツト代 六二〇〇円
(2) サポーター代 一五〇円
(3) 電気毛布代 六二五〇円
(4) 通院タクシー代(後記の請求しない分を除く) 四六二〇円
(5) 時計代 一万〇九〇〇円
(6) 除雪費 七万五〇〇〇円
4 逸失利益 五九八万二七四〇円
(1) 原告は、肩書住居で、昭和三四年以来飲食店(サロン)「寿沙娯」を経営しており、従業員を常時二名ぐらい使用しているが、客の接待、営業は常に原告が中心となつてきた。原告は、本件事故により、半ば廃人のようになり、店に出られない日がほとんどであり、また、店に出ても顔色がすぐれず、首、胴にコルセツトを着けているので、接客業として本来の業務が遂行できず、そのため、客数も売上げも減少したままになつている。しかして、本件事故当時における原告の右営業による年間収益は、昭和四一年分の長岡税務署に対する所得申告で四七万五〇〇〇円であるが、本件事故がなければ、原告はその後においても年間右の額以上の収益をあげることができたはずである。本件事故当時における原告の年齢は三六歳であり、その就労可能年数は二七年であるから、ホフマン式計算により、年間収益四七万五〇〇〇円によりその逸失利益の現価を求めると、その額は七九八万一九〇〇円となる。そして、原告の傷害の重篤度、持続性、その治癒ないし改善の可能性、転職の可能性等を考慮した場合、その逸失利益は、右によりえられた数値の範囲内で五〇〇万円をもつて相当とする。
(2) 原告は、昭和三四年七月二〇日、宅地建物取引員試験に合格し(新潟県知事証第三〇七〇号)、昭和四一年二月一七日以降、昼間は国土開発興業株式会社に取引主任として勤務し、一ケ月五〇〇〇円宛の賃金をえていたが、本件事故により、昭和四三年七月一日付で右職を解職された。原告は、右事故がなければ解職されずに毎月五〇〇〇円宛の賃金をえられたはずであるところ、右解職時原告は三七歳であり、その就労可能年数は二六年であるから、ホフマン式計算によりその逸失利益の現価を求めると、その額は九八万二七四〇円となる。
5 慰藉料 四〇〇万円
原告は、元来、強健な体力と有能な才能をもち、飲食店「寿沙娯」を経営するかたわら前記国土開発興業株式会社の社員としての業務にもたずさわつていた。しかしながら、本件事故により、前記のとおり、過去七年間に長期の入、通院を余儀なくされ、現在もなお、治療を継続中であり、その症状も重い。原告は、ために、筆舌につくし難い肉体的精神的苦痛を味わされたばかりでなく、将来においても、同様またはそれ以上の苦痛を味わい続けなければならない。右のほか、諸般の状況を考慮し、原告の苦痛は四〇〇万円をもつて慰藉されるのが相当である。
6 損害の填補 三三万三四三一円
原告は、本件請求にかかる損害のほか、本件事故により、治療費として計六八万六三五〇円(長岡赤十字病院における昭和四二年一月二五日から昭和四三年二月一九日までの分として六四万六八五五円、新潟大学附属病院の分として三万九四九五円)、コルセツト代として計一万四六〇〇円(頸部コルセツト七五〇〇円、腰部コルセツト七一〇〇円)、看護人費用として計八万七五三〇円(看護料六万六〇〇〇円、看護人食事代一万六二五〇円、看護人布団代五二八〇円)、通院交通費として一七万七〇三〇円の合計九六万五五一〇円の損害を蒙つたが、右損害については旭タクシー株式会社からその立替支払を受けた。しかして、本件事故につき、昭和四三年五月三一日、自賠責保険金から一〇〇万円(事故車一台につき各五〇万円宛)が支払われたが、うち六六万六五六九円が右旭タクシー株式会社に支払われ、残金三三万三四三一円を原告が取得したので、右三三万三四三一円を本件損害額から控除する。そうすると、右1ないし5の損害合計は一〇八九万三〇三九円であるから、これから右6の額を控除すると、一〇五五万九六〇八円となる。
7 弁護士費用 一〇五万六〇〇〇円
原告は、本件訴訟の提起と遂行を原告訴訟代理人に委任し、その手数料を、日本弁護士会報酬規準にもとづき、着手金、報酬を合わせて請求額の一〇パーセントとする旨を約束した。したがつて、その額は一〇五万六〇〇〇円となる。
(五) よつて、原告は被告らに対し、右損害合計一一六一万五六〇八円およびこれに対する遅滞後の昭和四九年二月一日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を連帯してなすことを求める。
二 請求原因に対する被告らの答弁
(一) 請求原因(一)の事実は認める。
(二) 同(二)の事実は争う。
本件事故と原告の傷害との間には因果関係がないか、仮にあつたとしても、その全部についての因果関係はない。
すなわち、本件事故は、衝突というよりは接触したという方が適当な事故で、その衝撃の程度も軽く、自動車の損傷の度合も少ない。さらに、鞭打ち損傷の場合、後部座席にいたときの方がその傷害の程度は軽いものであるところ、原告は、事故当時、後部客席に自分の背をもたせてそり返つていたのであるから、傷害を受けたとしても、誠に軽微なものであつたと考えられる。他方、臨床検査成績においては、いずれも病的所見をさして認めることができず、原告の症状と本件事故との関係について疑問を残すが、仮に関係があるとしても、心因性が主体であることを示している。つぎに、原告は、本件事故前から胸部打撲、手足の打撲等で柔道整復師の治療を受けていたことがあり、また、同様に事故前から高血圧の治療を受けていたもので、原告の症状は、これらの既往症または他の疾病に起因し、あるいはこれと競合することも十分考えられる。
なお、原告の鞭打ち損傷の症状は、昭和四三年二月ごろ新潟大学附属病院で精密検査を受けたときから、ほぼ同様の症状を呈しているのであるから、右症状はそのころ固定したものというべきである。
(三) 請求原因(三)の1の事実は認める。
同2の事実中、被告原田が被告車を所有していたことは認めるが、その余の点は争う。被告土肥は、被告原田が全く知らない間に、自己の用事のため無断で被告車を運転していたものであるから、被告原田が運行供用者としての責任を負うべきいわれはない。
同3の事実中、被告村山が新潟県第三区選出の衆議院議員であることは認めるが、その余の点は争う。被告土肥は、全く私用のため被告車を運転していたものであつて、被告村山の業務執行について本件事故が発生したものではない。
(四) 請求原因(四)の事実中、原告がその主張のような飲食店を経営していることおよび原告が原告訴訟代理人にその委任をしたことは認めるが、その余の点は争う。
原告の飲食店経営による収入は、所得税を納めない程度のものであるから、多額ではなく、しかも、原告の寄与率はその何分の一かになるべきである。
第三証拠<省略>
理由
一 請求原因(一)の事実は当事者間に争いがない。
二 成立に争いのない甲第八、第一一、第一二号証、第一七号証の一、三、証人関根光雄、同佐藤晃、同中井昴の各証言ならびに原告本人尋問結果(第二回)、鑑定人中井昴の鑑定の結果によれば、原告は、本件事故により、外傷性頸部症候群(鞭打ち損傷)の傷害を負つたことが認められ、成立に争いのない甲第七、第九、第一〇、第一六号証、第一七号証の四も前掲各証拠に対比してみると右認定を覆えすに足りるものではなく、他にこれを左右すべき証拠はない。
つぎに、前記甲第九、第一一号証、成立に争いのない甲第一九号証の一、二、第三六、第三九、第四二、第四三号証、第四五、第四六号証の各二、証人関根光雄の証言ならびに原告本人尋問の結果(第一、二、三回)によれば、原告は、右外傷性頸部症候群等の治療のため、本件事故当日の昭和四二年一月二一日と同月二四日に長岡赤十字病院に通院したほか、同月二五日から同年四月二九日までの九五日間、同病院に入院し、退院後も、ひきつづき昭和四三年二月二一日までの間に八〇回(ただし複数の科に通院したものはその延回数)同病院に通院し、その間、青柳医院に一九回通院(ただし、うち三回は往診)したこと、さらに、原告は、昭和四三年二月二三日から同年三月一四日までの二〇日間、新潟大学附属病院に入院し、同病院を退院後、同年三月から昭和四五年一一月までに長岡赤十字病院に四六六回通院し(昭和四三年は月平均一二、三回、昭和四四年は同一八、九回、昭和四五年は同一一、二回)、昭和四五年一二月以降昭和四九年一月までに関根整形外科医院に三四八回通院した(昭和四六年は月平均一〇回ないし一一回、昭和四七年は同約一一回、昭和四八年は同五、六回、昭和四九年一月は八回)ことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
ところで、前記甲第九、第一一、第一二号証、第一七号証の一、三、成立に争いのない甲第一三ないし第一五号証、第二二号証、証人関根光雄、同中井昴の各証言、原告本人尋問の結果(第一、二、三回)、鑑定人中井昴の鑑定の結果ならびに弁論の全趣旨によれば、原告は、受傷当初から、外傷性頸部症候群にみられる症状として、項部痛、頸部運動制限、悪心、嘔吐、めまい、頭痛、左上肢の放散痛等のほか、後外傷性左座骨神経不全麻痺等の症状を呈し、これらについての治療を受けたが、臨床検査の結果ではさしたる所見がみられず、原告の訴えとの間にかなりの隔たりがあつたこと、そして、前記認定の昭和四三年二月二三日から同年三月一四日までの間における新潟大学附属病院中の検査結果によつても、格別の他覚的所見はみられず、原告の前記症状の発現については、心因的な要素が相当強く作用していたと考えられること、原告は同病院退院後も、現在に至るまで、前記のとおり、きわめて長期間にわたり、しかも高い頻度で長岡赤十字病院および関根整形外科医院に通院して治療を受けているが、右治療は注射、投薬等による鎮痛およびこれによるいわゆる対症療法のくりかえしであり、その症状に僅かな改善はあるものの、さしたる変化はみられないこと、原告は、本件事故当時、飲食店(バー)「寿沙娯」のいわゆるマダムとして、同店に住込みでこれを経営しており、本件事故後もその営業を続けていたところ、昭和四三年ごろから時折同店に顔を出すようになつたが(原告はその訴状請求原因五の(三)で昭和四三年に店に出始めた旨認めている)、前記傷害の影響により、客に対する接待以外には満足な仕事ができず、その後常時店に出るようになつたが、稼働時間が制約されていること、鑑定人中井昴の昭和四七年一二月二一日および同月二三日の検査にもとづく鑑定の結果によると、(一)原告には、本件事故に起因する後遺症として、(1) 左上肢の脱力、(2) 左上、下肢のしびれ感、(3) 項部より上背部にかけての痛み、(4) 吐気、めまいの出没があり、これらはいずれも外傷性頸部症候群による症状として説明しうるものであるが、(1) については他覚的検査の結果では明らかでなく、(2) については、左下肢のしびれ感につき知覚検査によりきわめて軽度の異常が認められるが、左上肢に関しては他覚的所見はなく、(3) については、頸部の前屈および後屈運動の制限が中度等に認められ、その際、項部より上背部にかけての痛みが増強し、また、左側項部および左背部の筋緊張の亢進があり、項部軟部組織の損傷に起因するものとして他覚的にも説明しうること、(4) については各種検査で異常がなく、他覚的には認めえないこと、しかして、右のような所見にもとづき、労働基準法施行規則別表身体障害等級表(以下単に別表という)を適用すると、右(1) 、(2) および(4) はそれぞれ一四級に、(3) は九級に該当し、綜合して別表九級に該るとしていること、(二)原告の右後遺症は、原告が飲食店のマダムとして勤務するのに、さして、障害となる程度のものではないが、常に項背部痛を覚え、また、時折、めまいや吐気を催す等の自覚症のため、原告が不快感をもつて勤務することになり、このことが接客業としての性質上、円滑な運営に支障を来すおそれがあること、(三)原告の前記後遺症のうち、(1) 、(2) および(4) については、原告の訴えの程度と他覚的所見の程度との間にかなりの隔たりがあり、原告には情緒安定度の減退が顕著で、医療に対する不信感も大きく、後遺症の量的な面に心因性の要素がかなりの程度関与しているとみられること、しかして、原告の受傷後長期間を経過していることおよび多くの医療期間における加療の反応からみて、今後、自然治癒はもちろん、医療による改善は期待できないが、加害者との抗争落着の場合、原告の愁訴は相当程度改善されるとみられること、以上のような鑑定結果を出しており、さらに、同鑑定人の証言によると、原告の前記昭和四三年二月から三月にかけての新潟大学附属病院入院時における検査結果も、右鑑定時のそれと大した差のないものであり、また、同証人は、原告が現在のような治療を継続することは疑問であり、むしろ治療依存を捨てて本来の仕事に専念することが症状改善のために望ましいと考えていること、なお、原告は、本件事故前に高血圧症により治療を受けたことがあるようであり、事故後も、高血圧症による治療を受けていたが、右高血圧症は前記(一)の(1) ないし(4) の症状の発現とはかならずしも結びつくものではなく、かつ、前記外傷性頸部症候群の症状と対比すると、その比重も余り大きなものではないこと、右のとおり認められ、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。
右認定事実に、前記認定の原告の入、通院の経過を綜合して考えると、原告の外傷性頸部症候群としての症状は、容易に完治せず、その治療期間は長期にわたつているものの、右に関しては、原告のもつ心因性の要素がきわめて大きく関与しているものといわざるをえず、前記のような臨床検査や鑑定結果からすると、原告の症状は、原告が前記新潟大学附属病院から退院した昭和四三年三月中旬ごろにはほぼ固定していたものと認めるのが相当である。そして、右の時期以後に原告が受けた治療については、その必要性をにわかに否定するものではないが、本件傷害における前記心因性の関与の程度、原告が前記高血圧症の治療も受けていたこと、その治療の有効性について相当問題のあること等を考え合わせると、右固定時以後に要した治療費については、後記のとおり、これをすべて本件事故により生じた損害と認めるのは相当でないと解する。また、原告の後遺症のうち、主として、項部から上背部にかけての痛みが頑固に残り、かつ、吐気、めまいの出現により、その労務内容にある程度の制限を受けていること、その他の前記認定の諸事情を考慮すると、結局、原告の後遺症は、綜合的にみて、別表一一級に該当する程度のものであると認める。なお、原告の後遺症の程度や態様、治療期間、従事している仕事の内容、年齢、何よりも社会復帰への意欲により労働能力の回復が期待されることなどの諸事情によれば、原告の右後遺症による労働能力の喪失期間は、症状固定時から七年をもつて相当と解する。
三 請求原因(三)の1の事実については当事者間に争いがないから、被告土肥が本件事故につき民法七〇九条の責任を負うべきことは明らかである。
つぎに、請求原因(三)の2および3の被告原田および同村山の責任原因につき検討する。
被告原田が被告車を所有していたことおよび被告村山が新潟県第三区選出の衆議院議員であることは当事者間に争いがない。しかして、成立に争いのない甲第一七号証の二、第一八号証の一、二、被告土肥および同原田各本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によれば、被告村山は村山達雄財政経済研究所の所長としてこれを主宰し、東京事務所のほか、長岡市殿町にその長岡事務所(所員は本件当時八名ぐらい)を有しており、被告土肥は、昭和四一年八月ごろから右長岡事務所に勤務し、連絡事務や電話の取次などの仕事をしていたが、本件当時、「衆議院議員村山達雄秘書」なる肩書を有する名刺を使用していたこと、被告原田は、被告土肥の勤める以前から右長岡事務所に勤務し、主として同事務所専用の乗用自動車(一台)の運転の仕事を担当していたこと、被告土肥および同原田は、ともに与板町内に居住し、被告原田は、もつぱら被告車を運転して通勤していたが、被告土肥も時折被告車に同乗したり、自ら運転したりしてこれを利用させてもらうことがあり、被告原田は、勤務中、被告車を長岡事務所付近の道路端や同事務所の車庫が空いているときはその車庫内に駐車させていたこと、被告村山は、本件当時、昭和四二年一月二九日施行の衆議院議員総選挙に新潟県第三区から立候補し、前記長岡事務所を連絡事務所として選挙運動中であり、被告土肥は、その運動員として、昭和四一年一二月末ごろから右事務所に泊り込んで働いており、被告原田もほぼ同様の状態であつたこと、本件事故発生日の昭和四二年一月二一日ごろ、被告車の鍵は長岡事務所内の黒板の掛つている釘にかけてあつたところ、被告土肥は、同日午後三時すぎごろ、与板町の自宅への連絡と同町の知人方に年詣の挨拶に赴くべく、たまたま被告原田が外出中であつたので同被告に断ることなく、被告車の鍵をとり出して被告車を運転し、自宅と右知人方に出かけ、知人方で飲酒した後、同日午後八時ごろ、長岡事務所へ帰る途中で本件事故を発生させたことが認められ、被告原田本人尋問の結果中右認定に反する部分はにわかに措信することができず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
右認定事実により被告原田の責任を考えるのに、本件当時、被告土肥は被告原田の承諾なしに被告車を運転していたものであるけれども、被告原田と被告土肥とは同じ前記長岡事務所に勤務していたものであり、被告土肥は本件前にも時折被告車を利用させてもらつたことがあつたところ、本件事故当日ごろは、被告村山のための選挙運動期間中で、被告車の鍵が右事務所の黒板のところにかけてあり、しかも、被告車は同事務所付近に駐車中であつたのであるから、被告原田は、仮りに同被告の明示の承諾をえなくても、同じ事務所員等事情を知つている者が被告車を一時的に使用することは、暗に容認していたものと解するのが相当であり、そのほか、被告土肥が被告車を運転したのは一時的に借り受けたものであつて、短時間に返還するつもりであつたとみられることなどから考えると、被告原田は、本件当時の被告車の運行につき、なお運行支配を失つていないと解するのが相当である。したがつて、被告原田は、運行供用者として自賠法三条の責任を免れないというべきである。
また、被告村山の責任について考えるのに、前記認定事実によれば、被告土肥は被告村山の被用者であつたというべきところ、被告土肥は、本件事故発生当時、自宅への連絡や知人への年詣の挨拶といういわば私用のため被告車を運転していたもので、直接選挙運動に従事していたわけではないが、そのころ、被告村山の選挙運動員として、常時、前記長岡事務所に泊り込んで働いていた立場にあり、前記のように、被告車は、右事務所員等事情を知つた者には容易に使用しうる態勢にあつたとみられること、被告は勤務の合い間に被告車を乗り出し、これを運転して再び右事務所に帰る途次に本件事故を発生させたことなどの事実関係を客観的外形的に観察すると、被告土肥は、被告村山のためその職務に従事中に、前記のような過失により本件事故を惹起したものということができる。
したがつて、被告村山は、本件事故につき、民法七一五条の使用者責任を負うべきである。
しかして、被告らの原告に対して負う右各責任は、不真正連帯債務の関係にあるものと解する。
四 本件事故により原告の蒙つた損害について検討する。
(一) 治療費 二七万〇一〇〇円
前記認定のとおり、原告が本件事故により受けた外傷性頸部症候群の傷害は、昭和四三年三月中旬ごろにはほぼ固定したというべきところ、右時期以後の治療については前記摘示のような諸種の問題のあることから考えると、原告が右時期以後治療のために要した費用は、昭和四七年一二月末日までの分につき、その五割を限度として本件事故と相当因果関係にある損害であると認め、その余の分については、これを本件事故により生じた損害とは認めないこととする。しかして、前記甲第一九号証の一、二、第三六、第三九号証、成立に争いのない甲第一九号証の三、第三五、第三八号証によれば、原告は、昭和四二年中に青柳医院に通院(含往診)した治療費として三三一二円を要したこと、昭和四三年三月一四日から昭和四五年一一月までの間に長岡赤十字病院に通院した治療費として三〇万五二二九円、同年一二月から昭和四七年一二月末日までに関根整形外科医院に通院した治療費として二二万八三四七円をそれぞれ要したことが認められ、右認定に反する証拠はなく、右治療費のうち、長岡赤十字病院と関根整形外科医院の分計五三万三五七六円については、前記のとおり、その五割相当額が本件損害というべきであるから、その額は二六万六七八八円となる。そうすると、原告の治療費支出による損害は合計二七万〇一〇〇円となる。
なお、前記甲第一八号証の三によると、原告は、昭和四三年四月二五日に青柳医院に通院して治療費五八〇円を要したことがうかがわれるが、右治療が本件傷害と関係のあるものであることを認むべき証拠はない。また、成立に争いのない甲第二〇、第二一号証、第二三号証の四、五、第二四号証によると、原告は、両眼近視、左眼視神経萎縮等の疾病のため、昭和四三年三月から同年一二月にかけ自明堂医院に通院して治療費を支払い、かつ、診断書料を要していることが認められるが、原告の眼の疾病は、鑑定人中井昴の鑑定の結果によると、本件受傷にもとづくものとは認めがたいから、右支出をもつて、本件事故による損害ということはできない。
(二) 診断書等証明料 五八〇〇円
前記甲第三六、第三九号証、成立に争いのない甲第二三号証の一、二、三、六、七、第三七号証によれば、原告は、診断書等証明料として、長岡赤十字病院関係で三八〇〇円、関根整形外科医院関係で二〇〇〇円をそれぞれ要したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
(三) 補食費
原告は、補食費として、牛乳代およびヤクルト代をそれぞれ請求しているけれども、原告本人尋問の結果(第二、三回)によると、右の牛乳代やヤクルト代は、原告が本件傷害にもとづく食欲不振や吐気等のため満足な食事がとれず、これを補うために飲用したことによるものと認められるが、右によれば、これらの費用は食事代りに支出したものであつて、これに見合うものは事故がなくとも支出すべかりしものであり、当然に本件事故によつて生じた損害とはいいえない。したがつて、この点に関する請求は理由がない。
(四) その他雑費 一万六〇五〇円
成立に争いのない甲第二六、第二七号証、証人関根光雄の証言ならびに原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、本件傷害のため、頸椎用コルセツトおよびサポーターを必要とし、右コルセツト代として六二〇〇円、サポーター代として一五〇円の計六三五〇円を支出したことが認められ、これに反する証拠はない。また、成立に争いのない甲第二九号証および原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、本件事故の際、その着用していた時計一個を破損し、これを買い換えるために九七〇〇円を要したことが認められ、右費用も本件事故により生じた損害であると認める(なお、右時計購入代は、自賠法三条によつても請求しうるものであると解する。)。
原告は、そのほかに、電気毛布代を請求しているが、右費用が本件事故と相当因果関係にあると認めるに足りる証拠はない。また、原告主張の通院タクシー代四六二〇円は、成立に争いのない甲第三一号証の一ないし四を証人中井昴の証言に対比してみると、右費用は、本件における鑑定人中井昴の鑑定のため、昭和四七年一二月二一日と同月二三日に原告が新潟大学附属病院に赴いた際に要したものであると認められるところ、右費用をもつて、ただちに本件事故による損害として被告に請求しうるものとは解されないから、この点の請求も理由がない。さらに、原告は、除雪費として七万五〇〇〇円を要したとして、これを本件事故による損害として請求しているけれども、原告本人尋問の結果(第二回)によると、原告は、冬季間、その営む店舗の除雪を必要としたが、本件事故前も原告ひとりでこれを行つていたものではなく、従業員らと一緒に行つていたものであり、成立に争いのない甲第三〇号証の一ないし五によると、右除雪費には自動車による除雪の費用なども含まれていて、果して、本件事故前から原告およびその従業員のみで除雪を行つていたとはにわかに認めがたいのみならず、原告の労働がどの程度の割合を占めていたかも明らかにしえないから、結局、本件事故と相当因果関係にある除雪費支出による損害は確定できないというほかない。
(五) 逸失利益 一一一万二二二〇円
原告本人尋問の結果(第三回)により真正に成立したものと認める甲第三四号証、原告本人尋問の結果(第二、三回)および弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和三四年ごろから、肩書住居で飲食店(バー)「寿沙娯」を営んでおり、本件当時、同店に住込みでいわゆるマダムとして、従業員三名を使用し、これを経営していたものであるが、本件事故により、原告は、その治療のため、事故直後から昭和四三年三月中旬ごろまでの一年二ケ月間はほとんど右の仕事に従事することができなかつたこと、右「寿沙娯」の営業は、原告の受傷後も、従業員を、昭和四二年中は三人、昭和四三年は一時一人となつたがその後三人ないし四人を使用して、現在に至るまで営業を継続していること、しかして、右「寿沙娯」の昭和四一年における純収益は四七万五〇〇〇円であつたが、原告が本件事故後休業したため、昭和四二年においてはほとんど純収益をあげることができなかつたが、その後は、ある程度の収益をあげながら営業しているとみられるものの、その収益額は不明であることが認められ、他にこれを左右すべき証拠はない。右認定事実に、前記の原告の治療経過、後遺症の固定時期(昭和四三年三月中旬ごろ)、後遺症の程度(別表一一級で二〇パーセントの労働能力喪失)およびその存続期間(七年)等を考え合わせると、原告は、本件事故により、昭和四三年三月中旬ごろまでの一年二ケ月間につき、月額三万九五八三円(年間四七万五〇〇〇円の純収益を一ケ月あたりに換算したもの、円未満切捨て)として、計五五万四一六二円の休業損害を生じたほか、後遺症による労働能力喪失による逸失利益として、これをホフマン式年別計算によりその現価を求めると、つぎの計算式のとおり、五五万八〇五八円の損害を生じたことが認められる。
475,000円×20/100×5.8743 = 558,058円
なお、成立に争いのない甲第三二号証の一ないし四、原告本人尋問の結果(第三回)ならびに弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和三五年ごろ宅地建物取引員の免許を取得し、昭和四一年二月一七日以降、国土開発興業株式会社に右免許を貸与し、取引主任として勤務する形をとり、原告も時折同会社に顔を出すなどして、月額五〇〇〇円の報酬をえていたこと、右報酬は、本件事故後も昭和四三年七月一日付で右会社を解職されるまでその支給を受けていたとみられるが(原告の本件訴状請求原因五の(四)でその旨主張している)、以後右報酬をえられなくなつたことが認められるところ、右報酬は、甲第三二号証の一によると、免許借受料として支払われたもので、いわゆる名義貸に対する対価としての性質が強く(事実、本件事故後も相当の期間右報酬が支払われている)、しかも、原告本人尋問の結果(第三回)によると、その後同会社において他の同種免許取得者が出たことが原告の解職の一因となつていることがうかがわれなくもないから、右報酬がえられなくなつたことをもつて、本件事故による損害といえるかどうかは大いに疑問があり、原告が就業不能のため解職した旨の前記甲第三二号証の四の存在にもかかわらず、この点に関する原告の請求をにわかに肯認することができないというべきである。他に、原告の主張を認めるに足りる証拠はない。
(六) 慰藉料 一一〇万円
原告の本件傷害の内容、程度、その治療経過、原告の営業に対する影響、後遺症の程度、その他本件証拠にあらわれた諸般の事情を考慮すると、原告が被告に対して請求しうる慰藉料は一一〇万円をもつて相当と認める。
(七) 損害の填補 三三万三四三一円
原告本人尋問の結果(第三回)により真正に成立したものと認める甲第四一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める甲第四四号証の一、二ならびに原告本人尋問の結果によれば、原告は、請求原因(四)の6主張のように、本件請求にかかる損害以外に合計九六万五五一〇円の損害を蒙つたとして、右損害につき旭タクシー株式会社からその支払を受けたところ、本件事故につき自賠責保険金から一〇〇万円が支払われたが、うち六六万六五六九円が右旭タクシー株式会社に支払われ、残金三三万三四三一円を原告が取得したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
前記(一)、(二)、(四)ないし(六)の損害合計は二五〇万四一七〇円となるので、これから右三三万三四三一円を控除すると、その額は二一七万〇七三九円となる。
(八) 弁護士費用 二〇万円
原告本人尋問の結果(第三回)および弁論の全趣旨によれば、原告は、原告訴訟代理人に本件訴訟の提起および遂行を委任し、当初五万円の手数料を支払い、その余の手数料および報酬は、日本弁護士会報酬規準にもとづいて支払う旨を約したことが認められるところ、本件における証拠蒐集の程度、前記請求認容額、その他本件訴訟における諸事情を考慮すると、原告の弁護士費用支出による損害として本件事故と相当因果関係にあるのは、二〇万円であると認める。
五 そうすると、被告らは原告に対し、連帯して、右損害合計二三七万〇七三九円およびうち未払弁護士費用一五万円を除く二二二万〇七三九円に対する履行遅滞後である昭和四九年二月一日から、うち未払弁護士費用一五万円に対する本判決確定の日の翌日から各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるので、本訴請求は右の限度でこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 林五平)